子どものことだけ考えてたい。
突然ですが、私は現在産休を経て育休中です。
産休は出産予定日の6週間前から取れるということで、11月下旬が予定日だった私は10月中旬から産休に入りました。
この予定日(出産日)までの休みが、産前休業です。
そして、予定日を超過して12月上旬に出産したため、産休の終わりが延びました。
こちらは産前に対して産後休業といいます。
産後休業は8週間ということで、私の産休は2月上旬までになりました。
ここまでが、前提条件として。(長い)
では、一年間もらえた育休はいつまででしょうか。
答えは、『来年の1月末』……ではなく、『今年の12月の息子の誕生日前日』まで、です。
実は私、『一年の育休』という言葉を、『産後休業が終了後に始まって、一年間』、と解釈してまして…。
「わーい、来年の1月末まで子どもと楽しく過ごせるぞー」って思ってたんですね。
ところがどっこい。
事務員さんに聞いたら、「私もそう考えてたんだけどね、違うみたいで。ごめんねー」と言われました。
つまり、私は12月の息子の1歳の誕生日から職場復帰する、ということになります。
マジか‼
息子の誕生日、しっかりお祝い出来ないかもじゃん‼
そのくらいになったら意思疎通も少しずつ出来るようになってきてて、いろんなことが楽しいかもしれないのに、それに向き合う時間が減るのか‼
で、職場復帰するということは、当然出てきます。
それは、保育園をどうするか問題。
私達一家が住んでいる地域には、通う候補となる保育園は2つあり(幼稚園なんてものはありません)、1つは家の近く(A)、もう1つは職場の方面にあるものの職場から遠く、家からもかなり離れています(B)。
Aの方は比較的街中にあるということで入園希望も多く、また、数年前にCというBとは反対方面にあった保育園が無くなってしまったため、Cに通う予定だった子が流れてきていることもあり、田舎ながらもなんと未満児は待機児童問題が発生しているとのことで。
一方Bはというと、A・Cの地域から通うにはちょっと大変という立地なため、Bの周りに住む子しか通えていないらしく、空きはあるみたいです。
正直、この際入れるならBでも良いかな、と考えているのですが、実際に通うようになったとして普段の送り迎えやらなにやら結構大変だろうな…と。
何せ距離がありすぎる‼
職場からBまで車で15分かかるし、万が一私が迎えに行けないときは義実家にお願いすることになる可能性があるため、義実家にも近いところにあるAの方が良いよね…。
というわけで、一応慣らし保育を見据えて復帰前の11月からの入園を希望して支援センターの職員さんにはお話しました。
第1希望はA、第2希望はBとしましたが、果たして。
それにしても、まさかこんな田舎でも待機児童問題が発生しているとは思いませんでした。
いや、田舎だからなのかもしれないですね。
都会と違って若者が減りつつある田舎では、子どもの数が減り入園希望が減ったため保育園もいくつもいらなくて、定員割れしたら思い切って廃園にしたり他の地域の保育園と統合してしまう。
ある程度までは残った保育園で廃園になった地域の子どもも受け入れることが出来るけれど、やっぱり受け入れ人数にも限界はあるし、一定数より入園希望が多かったりしたらアウト。
かといって廃園にした保育園を復活させられるかというと、多分相当難しいんじゃないか。
都会の『保育園が足りない』待機児童とは違う、田舎の『保育園減らしちゃった』待機児童問題、これもどうにかなれば良いな。
この保育園入園に関して、未満児での入園がどうのとか、母親が働くための入園がどうのとか、いろいろ考えてたら…考えるのもめんどくさくなった‼
なんていうか、保育園にいつ入れるか考えて、考え通りに入れるために早めに申し込んで…、慣らし保育があるからその間の仕事が…、とか、先を読んで行動しなきゃいけないのが、しんどい。
難しいこといろいろ考えずに、息子の成長を喜びながら毎日を送りたい、そんな風に思います。
子どものことだけ考えて生きてたい。
保育園に預けずに済むならそれも良いんだろうな、って感じですが、旦那さんの給料だけだと生活してくのはギリギリだろうなぁ。
私が勤めに出たところで収入は高が知れてますけど。
共働きになることに同意して結婚したのは私なので、稼ぎで結婚相手を選ばなかったあんたが悪い、って言われたら、そうですね‼って言うしかないんですけどね。
でも私が旦那さんと出会ったのは前の職場だったので、自分が今の職種を選んだこと、旦那さんが今の職場を選んだことについては、否定しませんよ。
言うのであれば、もっと収入増えてほしいってことかな。
とはいえ、私も自分で選んだ仕事なので、やっぱり仕事は復帰して働きたいって思うんだろうな。
まとめると…
『預けたい‼って時に気軽に子どもを預けられるようになったら良いのに‼』、『自分の好きな時に好きなだけ働けたら良いのに‼』、
『欲を言えば収入もほしい』、です。
なんとまぁ都合の良い考え。
世の中なめてんの?って言われるような甘い考え。
それは十分承知なのですが、世の中の多くのママさん方がおんなじこと考えてるのではないでしょうか。
働きたいけど働きたくない。
なんていうか…もっと子育て中のママさんに優しい世の中にならないかなぁ。
と、愚痴っぽくなっちゃいましたが、さて、今日は息子の予防接種です。
今月は四種混合のみ。
BCGも予約しとけば良かった。
息子くん、頑張ろうね‼
いざ、出産。
どうも、ご無沙汰してます。一月振りの更新になります…。
今回はいよいよ出産前後のことについてです。
11月26日の予定日を思いきり超過し、12月に入ってもまだ出産が始まる気配が無かった私。
41週に入ってしまったため、誘発分娩の方向で行くことになり、予定入院が決まりました。
その予定入院が決定した、最後の妊婦健診の日からの記録になります。
内容はTwitterに上げたのと同じですが、埋もれてしまったのでブログにも残しておくことにしました。
では、長いですが、どうぞ。
☆平成28年12月5日
・午前
最後の妊婦健診(41w2d)。子宮口は柔らかくはなってきているが先週と同じくらいの開き具合で、頑張れば3~4cm開く、と先生にこじ開けられる。痛かった。翌々日の予定入院が決定する。
帰宅中から下腹部がしくしくと痛む。
・午後
昼過ぎの時点で内診後の出血(茶おり)が出始める。(その前の週までは当日の夜まで茶おりは出なかったため、早いな、と驚く。)下腹部痛続く。規則性は無いため、とりあえず昼寝する。陣痛に繋がれば良いな、とスクワットと実家周辺を散歩(距離は短い)。
・18時頃
夕食終了後も地味に下腹部痛あり。陣痛アプリで間隔を測ると、バラバラではあるものの10分間隔だったりもする。痛みはまだまだ強くない。
・20時頃
入浴して陣痛促進、と思うが、入浴後は痛み(ダルさ)が治まってしまう。
・22時頃
入浴して一度治まった下腹部痛が復活。まだまだ強くないので、様子を見る(=病院に連絡するほどじゃない強さ)。もしかしたら本陣痛になるかも、と体力温存の為にひとまず寝ることにする。
就寝前に、痛みが増して来院指示があった時、すぐに動けるように入院の荷物と書類、服の準備をする。夜勤中の旦那さんに状況報告のLINEをし、また動きがあったら追加で報告すると伝える。就寝。
☆12月6日
・2時頃
何となく目が覚める。目が覚めると腰痛と下腹部痛を感じる。規則性あり、我慢できなくはないが本陣痛だと確信する。間隔測りながら病院に連絡するタイミングを見る。
・4時頃
そろそろ苦しいな、と寝間着から普段着へ着替えて荷物を整え、別室で寝ている母親をメールで起こし、病院に電話。来院指示あり、母親の付き添いのもと父親の運転で病院へ。旦那さんに病院へ行くとLINE。
・5時頃
病院到着。陣痛室で病衣に着替えて陣痛に耐える時間が始まる。内診で子宮口の開きが既に7cmくらいだと言われ、「我慢強いねー」と助産師さんに驚かれる。
(以降痛みにより、時間の感覚がバラバラ)
・10時頃
旦那さん夜勤明けで病院到着。母親と交替しながらテニスボールやらでサポートしてもらう。
リラックス…リラックス…と考えながら陣痛に耐える。事前にリラックス出来そうな爽やかな風景の画像をスマホに入れといて、それを時々眺める。効果があったかは不明…。
・昼頃?
陣痛室にある隣のベッドに別の妊婦さんが移動してくる。母親が積極的に付き添いのご家族に話しかけてた。
時間は不明だが、陣痛室に入らずに直接分娩室に入った方が出産され、元気な産声が聞こえてきた。(経産婦さんだったらしい)
・午後?
陣痛の波は来てるが弱い微弱陣痛だと説明を受け、旦那さんが同意書に代筆して署名し、促進剤の点滴を開始する。(その前から食事が摂れておらず、栄養剤の点滴は開始していた)
・夕方
陣痛室の隣のベッドに移動してきた妊婦さんが、私がトイレに行っている間に『練習』として分娩室に移動していた。ちなみに陣痛室に戻ってくることはなく、一時間ほどで産声が聞こえてきた。妊婦さんのいきむ声に私も「頑張れ、頑張れ」と言ってた。
一方私はというと、「カロリーのあるものを食べて乗りきって‼」、「まだまだ、こんなもんじゃないよー」、「なかなか良い陣痛が来て、続いていかないねー。このままだと日付跨ぐかなぁ…」と助産師さんに言われ、心が折れそうになる。促進剤の量が増える。でも子宮口の開きは変わらず。「良いおしるしは来てるんだけどなぁ…」と先生も首を傾げる。
・20時
面会終了時間、夜間の付き添いは一人のため母親が帰宅し、夜勤明けの旦那さんが残る。
・21時半頃?
なかなか良い陣痛の波が来ないため、更に促進剤の量を増やすことに。その前に分娩台に移動しちゃいましょう、ということで、這うようにして分娩台へ。
分娩台に横になると促進剤の量が増やされ、陣痛強くなる。いきみ逃しをした方が良いのか分からないけど、台の柵に掴まりながら必死に耐える。
・22時頃
お産前に導尿される。
その後「そろそろお産の『練習』をしてみましょうか」と、分娩台の形が変わり、足を開いていきむ練習をする。陣痛の波に合わせていきむこと数回、その様子が良かったのか、「お、上手。行けそうだね」と先生が呼ばれる。分娩台の周りで慌ただしく準備が進められ、すぐに先生が来る。モニターを見ながら助産師さんがいきむサポートをしてくれ、それに合わせていきむ。先生が来て数回のいきみの後、会陰切開されズルンっと息子誕生。出たー‼って感じだけど、チラッと見えた息子の身体の色が悪いのが気になった。すぐに産声は聞こえたので一安心したが、やはり苦しかったのか胎内で胎便をしていたっぽい。なので本来はキレイな色をしているへその緒が、黄色く変色していたと話があったと同時に、体重は胎便が出た分少な目に計測されたとのこと。身体の色は徐々に回復。
一方私の方は、後産で胎盤は出てきたものの、子宮の収縮が弱くなかなか出血が治まらないとのこと。収縮剤の点滴を量を多目にして開始。何だかんだで3本くらい変えてた?それでも治まらなければ、大学病院へ救急搬送になると告げられる。会陰切開の後の縫合を受ける。
血圧とか様子を見ながら、右手に点滴、左腕に息子を抱いて旦那さんと3人でしばし家族の時間。恐らくそわそわしてるであろう母親には旦那さんから一報を入れてもらう。
☆12月7日
・0時
出産は終わったので、旦那さんが帰らされる。息子もしばらくして新生児室へ。私は一人そのまま分娩台で休む。でも興奮で眠れず。
・2時頃?
トイレに行かされるが、おしっこってどうやって出したっけ?みたいな感じに。そこらじゅう麻痺して何も出ません‼みたいな。もう一度分娩台に戻り、休む。今度は汗だくになりながら少し眠る。
・5時頃?
点滴が終わり、出血も治まってきたため部屋を移動する。個室が開いておらず、別の科の方と一緒の相部屋になると聞いていたが陣痛室に移動する。
朝食まで一休み。
まとめとして、
・旦那さん、母親への暴言はなし。
・しかし母親の言動にイラッとすることは何回かあった。
…病院到着後まだまだ時間がかかりそうだと判断し、勝手に陣痛室の空きベッドで寝る→せめて助産師さんに確認してからにしてほしかった
…私の食事が運ばれてきた後食べられるか確認してはくれたけど、特に他に考慮する様子なくその場でムシャムシャ食べる→においがキツかった
…確かに暑かったけど、勝手に室内の空調を消す→温度は妊婦さんや赤ちゃんのために一定に保たれてなければいけないはず。私はともかく、もし他の妊婦さんが来たら迷惑がかかる可能性があった
…世間話してた→気休めでも「頑張れ」とかの言葉はないのか…てか「何かすることある?」とかの気遣いも無かった…
立ち合い分娩希望の方で旦那さんがこういう行動される可能性ある方、お気をつけください…。ウチの場合は実母でしたが…。(旦那さんは逆にちゃんとした意味でいろいろやってくれました‼)
・気を付けたこととして、私が胸を張って言えることで旦那さんにも誉められたことは、『苦しい』『痛い』とはなるべく言わないようにしたこと(何回か言ったかも知れないけど、叫んだりはしてない)。赤ちゃんも頑張ってるんだから、それらは言わないように頑張った。頭が真っ白になりそうになりながら、「大丈夫だよ、ゆっくり出ておいで」って考えてた。でも苦しい思いをさせちゃった…。
久しぶりにメモ読むと、懐かしい気持ちになりますね。
そんな感じで生まれた息子は、あと一週間ちょいで5ヶ月になります。
離乳食、頑張らないとなー。
予定日超過のこと
さて、私は昨年12月に出産したわけなんですが、元々は11月26日が予定日でした。
妊娠37週0日~41週6日までが正産期なので、胎内の赤ちゃんの状態が悪くなっていなければ、基本的には自然に陣痛が来るのを待つのがほとんどだと思いますが、私の場合は41週3日で出産となりました。
予定日を迎えたものの何もなく過ぎて、その後も音沙汰無いまま一週間経とうとする頃、月が替わりました。
12月に入り、胸の奥にモヤモヤする感情が…。
私はTwitterで出産予定日が近い方をたくさんフォローしていたので、だんだんTLに溢れるフォロワーさん方の出産報告が、焦りと悔しさを産み出しました。
その感情が、妊娠前に感じた感覚と似ていたので、自分で自分に伝えたいことを書き出すことにしました。
自分で自分を慰めるような感じで、客観的に見て恥ずかしいですが、自分の心を振り返り、書き出した気持ちが次からの文章です。
『妊娠したくても体的にしない、仕事的に出来なくてモヤモヤして、悔しかったり辛かったりした時期の感情と似ているので記録。
待ってるのになかなか「出るよー」って音沙汰無くて悲しいね、辛いね。
同じ週数の知り合い、もしくは自分よりも後の週数の知り合いが、自分より先に母親になってく様子を『頑張って‼』って見送るのって、悔しいね。
競争してる訳じゃないけど、焦るよね。
でもお腹にいて、多少胎動激しくて苦しくても、赤ちゃんが元気なら必ずこの世に産み出してあげる日はやってくる、母親になる日は刻一刻と迫ってる。
状況まとめ
・元々陣痛への恐怖は地味に強かった
・予定日1w前の健診後に風邪を引く(~予定日直前まで治らず)
→「風邪が治るまで待っててー」みたいなことを言ってた
・風邪を引く前までは家の周りを散歩していた
→風邪っ引き以降は引きこもり気味
・里帰りしたため、家事はせず
・実家は部屋数が少ないため、一人になれる時間が少なかった(寝るときくらい)
・旦那さんは実家近くの職場に勤務してたため、帰りに寄ってもらうことも出来た
・超過前から近い週数の方の出産報告に反応しやすかった
→純粋に報告が嬉しかったけど、だんだんモヤモヤしてきた
始めたこと
・スクワット→超過後
・パイナップル→超過後
・ツボ圧し→超過後
超過後の気持ち
・周囲からの「まだ?」がジワジワくる
・Twitterのフォロワーで自分よりも週数が若い人が先に出産していく様子、母親になっていく様子を見てモヤモヤする
・地味にきたのが、既に出産を終えた方から、もしくは第三者の言葉。「お母さんのお腹の中の居心地が良いんだね」「暖かくて気持ち良いんだね」「きっとのんびり屋・マイペースなんだね」など。40週後半にもなると、逆にイラッとしたり悔しくなったり、とにかく神経を逆撫でされる気分になる。
・それを含めて、退院報告やら何やら全てを目にするのが嫌になって、あ゛ー‼ってなる。
気持ちを保つ為に
→SNSから離れる‼(目からの情報を断つ)
おしるしも陣痛も、来ないものは来ない‼来るときは来る‼
いろいろ言う人からは離れる‼それが「居心地良いんだね」「のんびり屋なんだね」とか言ってくれる人であっても、自分がモヤッとしたら離れていいと思う。
何に対してイラッとしたりモヤッとしたり悔しくなったり悲しくなったりするかは、人によって違うから、やだなって思ったらひとまず距離を置いて一休みする。
それまでの過ごし方を悔やんだりしたくなるけど、何がいけなかったのかは人それぞれ。
理由なんて無くてきっとたまたまだと思うし、音楽聞いたりとか好きなことをして気長に。
運動とかは医師や助産師の指示通りに、自分の気が晴れるなら無理のない程度にやっても良いのでは。
とにかく、ストレスを溜めない。
促進剤でも帝王切開でも無事に生まれてきてくれて、自分も多少苦しくても無事に母親になれるならOKじゃないか、とかいい方に考える。
遅れた理由に医学的な理由が無ければ、納得の仕方は自分次第。
他の人が言った慰めやフォローで納得するも良し、自分で考えた理由で納得するならそれも良し。
多分数週間後には、今の気持ちなんてさらっさら忘れて、目の前のふにゃふにゃした存在のことで頭がいっぱいになって、一つ一つのこと何もかもが必死で、一時的に疎遠になってた先輩ママさんにアドバイスをもらうようになってるから、大丈夫。』
…出産から早くも4ヶ月近く経ちます。
あの時感じていた焦りは、陣痛が来たらあっという間にどこかへ行ってしまいました。
あの時、私は予定日前後の11月に出産することを強く望んでいました。
理由は…何ですかね、意地になってたんですかね、「絶対に11月に産むんだ‼」みたいに。自分でもわかりません。
でも、壮絶な出産を身をもって経験して、『元気に生まれてきてくれて、自分も無事だったんだから、良いじゃないか』って思いまして。
それに、誕生月に拘るならそもそもの妊娠時期を調整しなきゃいけないですしね。
これを読んでくださってる方に、これから出産を控えていらっしゃる方がいるかわかりませんが、予定日はあくまで予定日、早くなることもあれば超過することもあります。
超過しても赤ちゃんが元気だと医師に言われているのであれば、焦らずに入院の最終確認でもしながら待ちましょう。
お腹に赤ちゃんがいる以上、必ず出てくる日はやってくるんですから。
そしてそれは遠いようで、意外ともうすぐなんですよね。
超過、ということに縛られる妊婦さんが一人でも多く笑顔になりますように。
新米母さん、始動‼
前回更新した記事では『妊娠しました‼』って感じでしたが、あれから数ヶ月…。
昨年12月に、我が家に新しい家族が増えました‼
目が大きくて会う人会う人に、「ハーフですか?」って聞かれるくらいハッキリした顔の、元気な可愛い男の子です(親バカ)
ちなみに純日本人ですよ(笑)
予定日は11月26日だったんですが、超過すること10日、誘発分娩する為の入院が決まった翌日に出てきてくれました。
出産レポはTwitterに上げましたが、後程記録の為にこちらにも上げますね。
それから、予定日超過したのでその時のもやもやも後で上げようと思ってます。
それらもよろしくお願いします。
さて、新米嫁さんが新米妊婦さんになり、新米母さんになりました。
子育ては初めてのことばかりで、退院後一ヶ月間お世話になってた実家では何回も泣いていました…。
今は自宅に帰ってきて好き勝手やってますが(笑)
妊娠中同様どれくらい更新するか分かりませんが、育児に関してのいろいろを記録に残していけたらなと思ってます。
Twitterは毎日出没してますので、そちらも機会がありましたら…(ただし現在鍵かけてます)。
では、今日はひとまずこの辺で。
つわりとの戦い。
妊娠が判明して喜んだのも束の間……程なくしてやってくるのは、そう、つわり。