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新米母さんの報告書

田舎から田舎に嫁いだ新米嫁さんが新米妊婦さんになり、新米母さんになりました。育児記録と旦那さんとの日々の“報告書”。

いざ、出産。

どうも、ご無沙汰してます。一月振りの更新になります…。

 

今回はいよいよ出産前後のことについてです。

 

11月26日の予定日を思いきり超過し、12月に入ってもまだ出産が始まる気配が無かった私。

 

41週に入ってしまったため、誘発分娩の方向で行くことになり、予定入院が決まりました。

 

その予定入院が決定した、最後の妊婦健診の日からの記録になります。

 

内容はTwitterに上げたのと同じですが、埋もれてしまったのでブログにも残しておくことにしました。

 

では、長いですが、どうぞ。

 

 

平成28年12月5日

・午前
最後の妊婦健診(41w2d)。子宮口は柔らかくはなってきているが先週と同じくらいの開き具合で、頑張れば3~4cm開く、と先生にこじ開けられる。痛かった。翌々日の予定入院が決定する。
帰宅中から下腹部がしくしくと痛む。

 

・午後
昼過ぎの時点で内診後の出血(茶おり)が出始める。(その前の週までは当日の夜まで茶おりは出なかったため、早いな、と驚く。)下腹部痛続く。規則性は無いため、とりあえず昼寝する。陣痛に繋がれば良いな、とスクワットと実家周辺を散歩(距離は短い)。

 

・18時頃
夕食終了後も地味に下腹部痛あり。陣痛アプリで間隔を測ると、バラバラではあるものの10分間隔だったりもする。痛みはまだまだ強くない。

 

・20時頃
入浴して陣痛促進、と思うが、入浴後は痛み(ダルさ)が治まってしまう。

 

・22時頃
入浴して一度治まった下腹部痛が復活。まだまだ強くないので、様子を見る(=病院に連絡するほどじゃない強さ)。もしかしたら本陣痛になるかも、と体力温存の為にひとまず寝ることにする。

就寝前に、痛みが増して来院指示があった時、すぐに動けるように入院の荷物と書類、服の準備をする。夜勤中の旦那さんに状況報告のLINEをし、また動きがあったら追加で報告すると伝える。就寝。

 

☆12月6日
・2時頃
何となく目が覚める。目が覚めると腰痛と下腹部痛を感じる。規則性あり、我慢できなくはないが本陣痛だと確信する。間隔測りながら病院に連絡するタイミングを見る。

 

・4時頃
そろそろ苦しいな、と寝間着から普段着へ着替えて荷物を整え、別室で寝ている母親をメールで起こし、病院に電話。来院指示あり、母親の付き添いのもと父親の運転で病院へ。旦那さんに病院へ行くとLINE。

 

・5時頃
病院到着。陣痛室で病衣に着替えて陣痛に耐える時間が始まる。内診で子宮口の開きが既に7cmくらいだと言われ、「我慢強いねー」と助産師さんに驚かれる。

 

(以降痛みにより、時間の感覚がバラバラ)

 

・10時頃
旦那さん夜勤明けで病院到着。母親と交替しながらテニスボールやらでサポートしてもらう。
リラックス…リラックス…と考えながら陣痛に耐える。事前にリラックス出来そうな爽やかな風景の画像をスマホに入れといて、それを時々眺める。効果があったかは不明…。

 

・昼頃?
陣痛室にある隣のベッドに別の妊婦さんが移動してくる。母親が積極的に付き添いのご家族に話しかけてた。
時間は不明だが、陣痛室に入らずに直接分娩室に入った方が出産され、元気な産声が聞こえてきた。(経産婦さんだったらしい)

 

・午後?
陣痛の波は来てるが弱い微弱陣痛だと説明を受け、旦那さんが同意書に代筆して署名し、促進剤の点滴を開始する。(その前から食事が摂れておらず、栄養剤の点滴は開始していた)

 

・夕方
陣痛室の隣のベッドに移動してきた妊婦さんが、私がトイレに行っている間に『練習』として分娩室に移動していた。ちなみに陣痛室に戻ってくることはなく、一時間ほどで産声が聞こえてきた。妊婦さんのいきむ声に私も「頑張れ、頑張れ」と言ってた。
一方私はというと、「カロリーのあるものを食べて乗りきって‼」、「まだまだ、こんなもんじゃないよー」、「なかなか良い陣痛が来て、続いていかないねー。このままだと日付跨ぐかなぁ…」と助産師さんに言われ、心が折れそうになる。促進剤の量が増える。でも子宮口の開きは変わらず。「良いおしるしは来てるんだけどなぁ…」と先生も首を傾げる。

 

・20時
面会終了時間、夜間の付き添いは一人のため母親が帰宅し、夜勤明けの旦那さんが残る。

 

・21時半頃?
なかなか良い陣痛の波が来ないため、更に促進剤の量を増やすことに。その前に分娩台に移動しちゃいましょう、ということで、這うようにして分娩台へ。
分娩台に横になると促進剤の量が増やされ、陣痛強くなる。いきみ逃しをした方が良いのか分からないけど、台の柵に掴まりながら必死に耐える。

 

・22時頃
お産前に導尿される。
その後「そろそろお産の『練習』をしてみましょうか」と、分娩台の形が変わり、足を開いていきむ練習をする。陣痛の波に合わせていきむこと数回、その様子が良かったのか、「お、上手。行けそうだね」と先生が呼ばれる。分娩台の周りで慌ただしく準備が進められ、すぐに先生が来る。モニターを見ながら助産師さんがいきむサポートをしてくれ、それに合わせていきむ。先生が来て数回のいきみの後、会陰切開されズルンっと息子誕生。出たー‼って感じだけど、チラッと見えた息子の身体の色が悪いのが気になった。すぐに産声は聞こえたので一安心したが、やはり苦しかったのか胎内で胎便をしていたっぽい。なので本来はキレイな色をしているへその緒が、黄色く変色していたと話があったと同時に、体重は胎便が出た分少な目に計測されたとのこと。身体の色は徐々に回復。
一方私の方は、後産で胎盤は出てきたものの、子宮の収縮が弱くなかなか出血が治まらないとのこと。収縮剤の点滴を量を多目にして開始。何だかんだで3本くらい変えてた?それでも治まらなければ、大学病院へ救急搬送になると告げられる。会陰切開の後の縫合を受ける。
血圧とか様子を見ながら、右手に点滴、左腕に息子を抱いて旦那さんと3人でしばし家族の時間。恐らくそわそわしてるであろう母親には旦那さんから一報を入れてもらう。

 

☆12月7日
・0時
出産は終わったので、旦那さんが帰らされる。息子もしばらくして新生児室へ。私は一人そのまま分娩台で休む。でも興奮で眠れず。

 

・2時頃?
トイレに行かされるが、おしっこってどうやって出したっけ?みたいな感じに。そこらじゅう麻痺して何も出ません‼みたいな。もう一度分娩台に戻り、休む。今度は汗だくになりながら少し眠る。

 

・5時頃?
点滴が終わり、出血も治まってきたため部屋を移動する。個室が開いておらず、別の科の方と一緒の相部屋になると聞いていたが陣痛室に移動する。
朝食まで一休み。

 

まとめとして、

・旦那さん、母親への暴言はなし。
・しかし母親の言動にイラッとすることは何回かあった。

…病院到着後まだまだ時間がかかりそうだと判断し、勝手に陣痛室の空きベッドで寝る→せめて助産師さんに確認してからにしてほしかった

…私の食事が運ばれてきた後食べられるか確認してはくれたけど、特に他に考慮する様子なくその場でムシャムシャ食べる→においがキツかった

…確かに暑かったけど、勝手に室内の空調を消す→温度は妊婦さんや赤ちゃんのために一定に保たれてなければいけないはず。私はともかく、もし他の妊婦さんが来たら迷惑がかかる可能性があった

…世間話してた→気休めでも「頑張れ」とかの言葉はないのか…てか「何かすることある?」とかの気遣いも無かった…

立ち合い分娩希望の方で旦那さんがこういう行動される可能性ある方、お気をつけください…。ウチの場合は実母でしたが…。(旦那さんは逆にちゃんとした意味でいろいろやってくれました‼)
・気を付けたこととして、私が胸を張って言えることで旦那さんにも誉められたことは、『苦しい』『痛い』とはなるべく言わないようにしたこと(何回か言ったかも知れないけど、叫んだりはしてない)。赤ちゃんも頑張ってるんだから、それらは言わないように頑張った。頭が真っ白になりそうになりながら、「大丈夫だよ、ゆっくり出ておいで」って考えてた。でも苦しい思いをさせちゃった…。

 

 

久しぶりにメモ読むと、懐かしい気持ちになりますね。

 

そんな感じで生まれた息子は、あと一週間ちょいで5ヶ月になります。

 

離乳食、頑張らないとなー。